教会紹介

牧師紹介

水間 照弥(てるみ)牧師

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 水間 照弥(てるみ)牧師は、1944年に福井県に生まれた。その名の通り神社(照―天照大神の照)、仏閣(弥―南無阿弥陀仏の弥)に祈願されて生み育てられた。学びのため上京し、19才の悩める時に教会の門を叩き、救いにあずかりクリスチャンになった。
卒業後、NECに勤めた。牧師として召され東京聖書学院で学んだ後、4年間小平で開拓伝道に従事、5年間の留学後、新井教会の再建に携わり今日に至っている。
現在は、新井キリスト教会牧師、東京聖書学院教授(牧会神学博士)、玉川聖学院評議員、東京都民生児童委員、三女の父親である。
趣味は落語、読書、ボーッと歩き・・・

私の最高最大の出会い
水間 照弥

キリスト教会では、「人生は出会いで決る」という言い方をします。この言葉は、わたしの人生にとって全くその通りでした。
わたしの高校三年間は、六畳一間の下宿生活でした。親元を離れての生活は自由を謳歌する絶好の機会になるはずでした。しかし、三ヶ月もしますとものめずらしさも去り、悪い思いや行ないに対しても簡単に誘われて行く自分をもてあますようになりました。これだはいけない、こんなやわな自分を鍛えなければいけないと、午後は野球に、夜は町道場で精神統一のため空手に汗を流しました。それでも悪への傾向性は改まらず、太宰や芥川や夏目や武者小路やらの本を片っ端から手当たり次第に読みました。それでも改まらないので宗教を求めました。でも・・・
高校三年間この繰り返しで疲れ果ててしまい、下宿の窓に腰をかけ夜空を眺めながら涙しました。「どうして、あの星のように圧倒する暗闇にも負けないで輝き続けられないのか」と・・・
そんな時、若山牧水の「白鳥は 悲しからずや 水の青 空の青にも そまずただよう」の句をよく口ずさんでおりました。

学びのために上京しましたが、東京のものめずらしさに心奪われ遊びまわり、青春の苦悩もどこへやらで10月を迎えました。10月のある夜、同室の者たちが友達を連れ込んで徹夜マージャンをやったことに怒りを爆発させ、大ゲンカをしました。ケンカは4~5日でおさまりましたがおさまらなかったのは、私の心でした。自分の中には恐ろしいものがあることに驚愕させられました。これを何とかしなければとの思いを抱いた時に、悶々とした高校時代になんとなく聞いていたキリスト教ラジオ番組の「ルーテル・アワー」の最後に「あなたも教会にいらっしゃいませんか?いらっしゃったら聖書を差し上げます」と言っていたことを思いだし、日曜日の夜、教会に行き、聖書を頂き、案内されるまま伝道会に出席しました。丸山さんという長老の方が、ヨハネによる福音書にあるイエスの言葉「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)からお勧めくださいました。話しを終えられた丸山さんがわたしを会堂わきの祈祷室に導き、さらにくわしくキリスト教についてお話しくださいました。家が、真言宗、天満神宮、さらに天理教の関係にありましたから、キリスト教への入信など毛頭考えていませんでしたが、丸山さんが短いお話しの後、初めて出会ったわたしの頭に手を置いて涙を流しながら、祝福をお祈りくださったことにわたしの心は激しく揺さぶられました。人の為に涙しながら祈る世界があることに驚嘆すると動じに、その時、わたしもこのような世界に生を捧げようと決心しました。今もそのような気持ちで変わらず生きています。

丸山さん、そして丸山さんを通して紹介されたイエス・キリストとの出会いは、わたしの生涯を全く変え、素晴らしい世界に導いてくれました。

水間 町子牧師

水間 町子牧師は、山形県鶴岡市に生まれた。牧師として召され、照弥牧師と共に新井教会の再建に携わり今日に至っている。  正教師。現在日本ホーリネス教団 女性教職会会長をしている。趣味は今はまっているのが、“数独”。全てを忘れて没頭できるのが魅力。ボケ防止にも。

水間町子のこと
水間 町子

生まれは山形県鶴岡市、公務員の父の転勤により、県内を転々とし、中学2年の時は村山市楯岡に住んでいた。その年の11月に生まれて初めて教会を訪ねた。家族にも親戚にもクリスチャンはいなかった。小学4年の冬に祖母が亡くなったが、元気だった祖母が風邪で死んでしまったのが、人生初めてのショックな出来事だった。人は皆年老いてやがては死んでしまうのかと考えると、悲しくてつらくて虚しくてどうしたらいいのかと叫ばずにはいられない思いに幼きながら悩んだ。だから教会を訪ねたのではない。その叫びと教会がつながるなどとその時は想像すら出来なかった。また中学1年の時、新庄市という所にいたが、ベンハーという映画が来て、初めて友達同士で見に行った。その時の強烈な印象は今も深く残っている。映画の最後にイエス・キリストが十字架に架かるシーンが出てくるが、映画が意味する所は読み取れなかったにしろ、なぜキリストが十字架にかかるのかとずっと心に残った。しかし、だから教会を訪ねたのでもない。これもまた教会と関わりがあると考えもしなかった。

中学の校門近くに、教会案内のポスターが貼られているのを目にしたのである。なぜ目に留まったのか、何に引かれたのか、今もって不思議な事だが、白い紙にただ黒の墨で書かれただけの教会案内がなぜか気になって、友達を誘って訪ねてみたのだった。訪ねて行った所は普通の民家だった。屋根に十字架もない。ただ玄関の横に教会の看板がかけてあったので、ここに間違いないと思い、ドアを引き「ごめん下さーい」と叫んだ。それは土曜日の午後だったが、子ども達のはしゃぐ声が聞こえた。後でわかったことだが、11月下旬だったこともあり、子ども達がクリスマスの時に演じる劇の練習をしていたのだった。 「はーい」となまりのない女性の声がした。その女性が玄関に現れるまでのほんの数秒の間に、なんと神を体験したのである。誰かに勧められたのでも教えられたのでもなく、自分の考えや体験からそう思ったのでもなかった。目に見えない神さまが直接臨んで下さったとしか考えられない。初めて足を入れた教会の玄関で、牧師に会う前に、“ここには聖なるお方がいる、ここには真実がある、ずっと従って行こう”と決心したのであった。見えざる神さまがずっと前から導いて下さっていたのだと後に悟ることになる。
その教会は小さな小さな教会だった。6畳と8畳の仕切りのふすまを取った部屋に座布団を敷き、正面の講壇には布がかけてあった。講壇の後ろには「主ここにいまし給う」と書かれた紙が貼ってあった。横にオルガンがあった。それだけの教会だった。礼拝人数は5,6名。しかし、牧師はいつも大説教をした。話の内容はチンプンカンプン。聖書の話が自分と深い関わりがあるなどと少しも知らなかった。分からないながらも休まず出席し続けた。何しろ牧師の話は天地創造からこの世の終わりまで、全世界いや宇宙までの広がりがあった。

やがて、聖書の中に長い間預言され、預言の通りに2000年前にこの世に現れたイエス・キリストが、私自身に人間らしく生きる生き方を教え、その力を与え、天国を約束してくれるお方であることがわかった。イエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れて洗礼を受けた。高校1年の9月のことである。あれから・・・・50年が過ぎた。信じる決心をした日を昨日のように覚えている。若い時にイエス・キリストを知り、受け入れ、それからの人生をずっとイエス・キリストと一緒に歩んで来た。守られて来たという実感である。いろいろな事があったが、いつも平安に満たされ、喜びと楽しみがたくさんあった50年だったとしみじみ思っている。

新井キリスト教会の歴史

2018年度 教会聖句

 「これはわたしの霊による」(ゼカリヤ書 第4章6節)

2018年度 教会標語

 「神の霊によって建つ一年」